人に「親切」を施す人はある意味マッチョっていうのを吐瀉物から学んだ話


「優しさってなんだろうな」

電車内で静かにゲロを滴らせる男を見てから数日考えている。

イヤホンを耳にさして『仕事終わりで疲れているから』を理由に私はそっと目的の駅の一つ前で降りた。

駅構内の自販機でミルクティーを買い、私が良識があり親切な人である場合の『取るべきであった行動』を考えてみた。

まずはなぜかピンク色のゲロをビタビタと床に滴らせる男に手持ちのゴミ袋を差し出してこう声をかける。

「大丈夫ですか?ひとまず一旦これで全部だしてください」

いや、そっと差し出して「これ、使ってください」だけの方がシンプルでいいかもしれない。

そして「次の駅で降りましょう」と男の肩を支えてやりながら次の駅で降りる。

ここでは一旦床にぶちまけられたものは無視をする。

優先事項は弱っている男なのだから。

見ず知らずの男を駅構内に座らせ、私は早足で駅員の元へと向かって具合が悪くなってしまった人がいるから休ませてほしいと伝える。

駅員と力を合わせて男を休ませた後は、駅員に男が戻してしまったので電車内が汚れていることを男に聞こえないように伝えた後は何事もなかったかのように帰宅する。

プラスでアクションするなら水とコーヒーを買って、水はもちろん男に、コーヒーは駅員にあげるというのもいいかもしれない。

我ながら完璧な流れではないかと思う。

ここまでスマートな流れだと逆に胡散臭い気もするがすべて妄想なのだからいいのだ。

そもそも普段私はごみ袋など持ち歩いていないし、そもそも今回はとっさの判断で「逃げる」を選択した人間なのだから。

ここまで考えて改めて思ったことが一つある。

「いわゆる『優しい人間』というものは思考回路に『人助け』というアクションが組み込まれているうえに、行動力がないとなれないんだな」と。

だって優しい人だったら具合が悪い人がいればまず「大丈夫か?」と声をかける。ファーストアクションが「耳にイヤホンをさす」の私と全く違う。

この違いってなんだろ~と考えた時に上のやつに行き着いた

つまり『優しい人間』というのはある種めちゃくちゃ優れたタイプの人類といえる。すご~い。シンプルに尊敬する。

こういう人がリーダーシップをとれば、少年漫画などのようにハッピーエンドが似合うような頼れる主人公タイプになるのだろうし、サポート役として回ってくれれば「もういてくれるだけで助かる!神!」と言われるんだろうなと思う。

バイトの時にシフトかぶっていると「今日神メンツじゃ~ん!」と行く気持ちがちょっと上がる。

まあ今回私が見た限り、同じ電車内にそんな親切な人はいなかったみたいでしたが。

ミルクティーを飲み終わり、空いた缶を捨てるついでに事務作業をこなしている駅員さんに「車内で具合の悪そうな人がいたので、どこかのタイミングで様子をみてあげるよう別の駅の人に連絡お願いします」とだけ伝えた。

今回私ができることはこれだけだった。

いつか私も優しい人になりたい。

(できれば明日とかで。無理か)


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